INTERVIEW&COLUMN

2018.01.16

「見ないと人生損する映画 その3」

その夜、私は新宿のとあるバーで
世界一尊敬する監督がやってくるのを待っていた。
待っていたというより、待ち伏せしていたという方が正しい。
(そのバーは、海外から来た監督がよく訪れる店として有名である)

彼らは日仏学院での特別試写のため、
その日の朝、フランスからやってきた。
私は1時間以上も前からチケットの列に並び、
映画とトークショーを見た。
長いトークショーだった。
しかし、彼らは奥ゆかしい性格のせいか、真意を最後までは語らない。
時間の関係でQ&Aはすぐ打ち切られた。
私は、彼らに聞きたいことが山ほどあった。
だからストーカーのようにして待ち伏せていたのだ。

その監督とはダルデンヌ兄弟。
言わずと知れたベルギー出身の巨匠だ。
カンヌ映画祭の常連であり、パルムドールに2度輝いている。

バーで待つこと2時間、扉を開け、ある二人組が入ってきた。
私はハッと息を飲んだが、
入ってきたのはダルデンヌ兄弟ではなく、その通訳の方々だった。
「今日、二人は疲れたから来ないわよ」と言われてガックリきたのを今でも覚えている。

ダルデンヌ兄弟は、マイク・リーと同じくリハーサルの期間を長く取る。
(マイク・リーとは違い、脚本は最初からあるけれど)
映画「ある子供」のパンフレットにはこうある
「脚本ができてから実際の撮影現場に行って2人(兄弟)でハーサルを3ヶ月。
 その後、現場で俳優のリハーサルが3ヶ月。
 その2種類のリハーサルを通じて細かい演出やカメラの動き、アングルが決まり
 撮影が始まってからは思い通りのショットが得られるまで何十回もテイクを繰り返す」

「自転車と少年」に出演した女優セシル・ドゥ・フランスもこう言っている。
「クランクインする前に1カ月以上かけて、衣装をつけ、
 実際に撮影する場所でリハーサルしました。
 他の映画の撮影とはまったく違います。
 ダルデンヌ兄弟は、探究し、時間をかけるのが好きなのです。私もそうです。」

何ヶ月もリハーサルをして動きを決めた上に、
本番でも何十テイクと繰り返す。
コップを取るという動作1つにしても、
そのキャラクターなりの取り方があるわけで
それを無意識にできるようになるまで俳優に反復させる。
(さらに、ダルデンヌは、彼らが決めた通りの間や動きのリズムを俳優に求める。
実際、俳優のリハーサルをする期間からカメラを入れていると言う。)

おそらくダルデンヌがやろうとしていることは
「芝居から芝居らしさを抜く」ということだと思う。
「自然らしい芝居をする」ことではなく、
膨大な時間と忍耐をかけて
「ただそこに存在する」という境地にまで俳優を持っていくのだ。
逆説的に思えるが、その方が芝居が豊かに見える。

セシル・ドゥ・フランスはこうも言っている。
「この作品以後、抑制するのも、女優としてのテクニックの一つになりました。
 私はずっと創造すること、発明することが好きだったのですが、
 あえて演技しようとしない、という経験は、
 私のキャリアをこれまでになく豊かにしてくれました」

あえて演技をしない、ということは役者にとって最も過酷なことである。
演じるという技術を一枚一枚剥ぎ落とされていくのだから。
最大限に削ぎ落とされたモノで勝負するしかないのだから。

それはブレッソンがやっていたことに近いのかもしれない。
ブレッソンは玄人ではなく素人をよく起用した。
でもそれは単に素人の方が良い、ということではない。
中途半端な芝居に凝り固まっているようだったら、
そんなものに染まってない方がまだ可能性がある、と思っていたのかもしれない。

ダルデンヌ兄弟も経験のない俳優を起用することが多い。
「イゴールの約束」のジェレミー・レニエ、
「ロゼッタ」のエミリー・ドゥケンヌ、
「息子のまなざし」のモルガン・マリンヌ、
「ある子供」のデボラ・フランソワ しかり。
みんな恐ろしいほど生々しく見える。
まるでドキュメンタリーのように、
その土地で日々生活している人に見える。

無意識まで到達したその先に、突き抜ける本当の真実があります。
みなさんダルデンヌ兄弟の映画を見てください。

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