INTERVIEW&COLUMN
2017.09.19
煙草と珈琲と
嗜好品。
栄養分として直接必要ではないが、風味や味、摂取時の心身の高揚感など、個人が味覚や嗅覚を楽しむためのもの。
わたしはたぶん、“嗜好品好き”なんだと思う。
煙草も吸うし、昼は珈琲、夜はお酒を飲む。
常にそれはストックしておきたいので、家になくなると不安になる。
常にあってほしいけど、それだけのためにコンビニにはいきたくない。だって、あくまで嗜好品なんだから(なくなったら結局行くんだけど)。
けれど、それらに対する「好き」は、自分が摂取する、しないに限ったことではない。
たとえば、煙草なら、煙草を吸うひとを見るのが好きだなと思う。
年を得た渋いおじさまが年期の入った手で口元を覆うように煙草をくわえ、火をつけ、ふーっとゆっくり煙を吐き出す瞬間。
美しい女性が、人目を気にせずけだるそうに煙草に火をつけ、一度唇から離したフィルターに、口紅がこびりつく感じ。
くたびれたサラリーマンが、必死に喫煙所を探し、それでも見つからなくて、コンビニの陰で携帯灰皿を取り出して、こっそりと火をつけ、それまでうつむき気味だった身体が、煙を吐く瞬間にだけ、そっと空をあおぐのを見たとき。
「風立ちぬ」で喫煙シーンが多々登場し、批判の声があがった、なんて話もあったけど、そんな意見馬鹿みたいと思った。むしろ、あの時代背景やキャラクターを表す上で、なくてはならないものだったと思う。
珈琲もそう。
わたしが珈琲に求めることは、ただそれが珈琲であるかどうかだけなので、家で飲み時はインスタントコーヒーやコンビニのアイスコーヒーなどの、手軽に飲めるもので構わないのだけど、外で少し時間をつぶすとき、あるいは人と待ち合わせをするときなどに、ほどよい喫茶店に入れると、とてもいい気持ちになる。
おじいちゃんがやっていて、できたらジャズが流れていて、禁煙席なんてなくって、壁やメニューは何年もかけてできた汚れがしみついているような、あ、メニューにバナナジュースがあれば、なおいい。
そんなところで珈琲を飲む時間も、そんな場所にいる他のお客さんたちも、なんだかとても愛しく思える。
それらを含めて思うのは、嗜好品とは、そのひとの人生がさりげなく現れるものなんだと思う。わざわざ意識せずに、なんとなく日常の一部として嗜む本人に寄り添っているものだから、人々がそれを嗜んでいる時間に、ついつい見とれてしまう。
煙草や珈琲に限った話ではない。
わたしは以前、かわいらしい見た目のスウィーツを過剰摂取し、食べては吐く、を繰り返してしまう女の子が主人公の映画を撮った。
一度体内に入れてから吐く、という行為までを含めて、彼女のとってのかわいらしいスウィーツは、「食べ物」ではなく「嗜好品」だったんだと思う。
それが、ほかほかの炊きたてごはんや野菜炒めでは絶対に駄目だった。
嗜好品は、嗜む物でありつつ、一種の依存性を持つものでもあるのだと思う。そう考えると、少し恐ろしい。
けれどやっぱり、その恐ろしさがひとつの魅力なんだと思う。
煙草を吸う人にわたしが見とれてしまうのも、珈琲がおいしい喫茶店の空気感に酔いしれてしまうのも、そこに、決して生活に必要だから摂取するわけではない、“ある意味無駄なもの”に費やしているのを見る瞬間こそ、私はその人が生きている、と感じてしまう。
ある人は毎日コンビニでチョコレートを買っては、味わうとかではなく、ただただ仕事をしながら、片手間に口に入れてしまうの。ある人は家にいるときは常にお香を焚いていて、この前寝ぼけて倒して、危うく床に燃え広がるとことだった。
なんて、そんな話を聞けば、全部が全部、ちょっとそのひとのどうしようもなさが伝わって、なにもないひとよりも、なんだか好きになってしまう。
フィクションの中のキャラクターだって、嗜好品があることで、その人の厚みが増す、気がする。
あなたにとっての嗜好品はなんですか?
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