INTERVIEW&COLUMN
2018.04.29
「CMと映画の違いについて」
「嘘を愛する女」という映画を撮った時、「CMと映画はどう違うのか?」とよく聞かれた。
それは私がCMディレクターだからなんだけれども、
CMディレクターから映画監督になった例は、大林宣彦監督を始めとしてたくさんいらっしゃるし、
もはや珍しいことでもないのに、なぜかみんな質問する。
それ以外聞くことがなかったってことかもしれないけれど…。
予算のあるなしを別にすれば、俳優が芝居をして、それをカメラで撮影していく行為は変わらない。
同じような機材を使うし、技術スタッフもだんだん境目がなくなってきている。
傍から見たら、それがどっちの撮影かわからないことだって多い。
だが違いはある。
だいたいCMというのは、企業が広告代理店に「このような商品を作ったから広告してください」と仕事の依頼をするところから始まる。
そして広告代理店のクリエイティブの方々がCMの「企画コンテ」を考えて企業に提案。
著名なタレントが出演する場合はここで決まる。
企画が決まったら、その仕事をCMプロダクションが受け、代理店のクリエイティブとともに監督を選定。
監督は「企画コンテ」を元に、より詳細な「演出コンテ」を考え、代理店と企業に承諾を得、撮影の準備に取り掛かる。
事前にそれだけの約束事を経てきているので、監督は撮影現場で大幅にプランを変えることは基本的にはできない。
かつ、CMはご存知のように15秒、30秒といった長さ。
いくら俳優の芝居が良くても尺に収まらないと話にならない。
15秒のCMにはだいたい10カットほどあり、中には1秒以下のカットも存在する。
セリフの間を10秒も取られたらそれだけでアウト。
俳優への指示も「ここはパッと商品出して」とか「振り向いたらすぐカメラ見て」とかそのようなコトが多くなってしまう。
だから事前に考えたコンテ通りに俳優の芝居を当てはめていく、という撮り方になる。
では映画はどうか。
確かに映画会社やプロデューサーと脚本の段階でいろんなやりとりがある。
それを経て「決定稿」ができ上がるのだが、大規模なCGや合成がない限り事前にコンテを書くことは少ない。
私の場合は、まず俳優の段取り(リハーサル)を見て、芝居をどう切り取るか考える。
彼らのいいところをなるべく見落とさず、どう撮れば一番魅力的になるかをその場で判断する。
「嘘を愛する女」の時は、自分の整理のためにすべてのシーンでコンテを書いて臨んだが、それ通りに撮影したことはほとんどなかった。
だから、事前の想像に当てはめるというよりも、現場の俳優の芝居に合わせていく、という撮り方になる。
予算的なことでいうと、CMの方に断然分がある。
1秒あたりにかけられる金額を概算したら、CMはハリウッド映画並みの予算がある。
そして、CMの場合は大抵、撮影当日うまくことが運ぶように、前日ほとんどのカットを代役でリハーサルをする。
カメラワークや照明なども本番同様にシミュレーションができる。
じゃあ、明日はもっとこーしよう、あーしようと、一晩考える余地がある。
当然、画のクオリティーは良くなり、隙のないものが出来上がる。
しかしCMは「画がカッコイイ」「スタイリッシュ!」ってことで成立するが、映画はそうはいかない。
カメラワークがガタガタでも、胸を打つ学生映画が沢山あるように、
中身がなければどうしようもない。
大先輩の市川準さんが確かこんなことおっしゃっていた。
「CMは尺が短いから撮影する前に、細かいところまで全て想像できる。でも映画は全てを想像することはできないし、逆に想像通りになったとしても、それは面白いものにはならない」
映画は、良い意味でも悪い意味でも想像しなかったことが起こる。
自分の意思ではコントロールできない何かがフィルムに刻まれてしまう。
それは俳優が見せた刹那の表情だったり、窓の奥で強風に煽られる木々だったりする。
想像できないものの中に、抗えないものの中に大切なものが転がっている場合がある。
理屈では説明できない何かゴロッとしたものが…。
それを見つけ出し、紡いでいったときに、映画が一人でに歩き始める瞬間がある。
それは事前に思い描いたものとは違うかもしれない。
でも映画が教えてくれる。この映画の答えはこっちですよと。
これこそが、映画の命である。
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