INTERVIEW&COLUMN
2017.08.08
夏の原色
でも、わたしはそのあと、屋台が片付けられていくかんじが一番好きかもしれない。
子供のとき、屋台が出る商店街の中に叔母の家があったので、わたしは存分に祭りを堪能できたし、そのあと、もう帰るよと親にせかされながら、外に出て、屋台が片付いていく様をずーっと眺めていたのを覚えている。
あの、なんとも言えない切ないかんじ。
そしてその翌日以降に残るのは、食べきれなかったリンゴ飴、しぼんでいく水風船、育てるコンディションがないまま掬われてきて、バケツの中で死んでいく金魚たち。 そうしてそれらは一週間後にはすべて家から消えてしまう。
夏に存在するものというのは、なんだかすべてが刹那的なんだと思う。
たとえば冬の寒さの中で飲むホットミルクや、街に装飾されたイルミネーションも素敵だけど、なんだかそれって、夏の暑さの中で喉に流し込まれる炭酸水や、手書き看板の原色の屋台たちよりも、ずっと、大事に扱われている気がするのだ。
だからこそ、わたしは夏に消費されていく、軽やかで儚いものたちに、ただただ愛しさを感じてしまう。
先日、花屋の店先でほおずきを買った。一茎600円もするのに、毎年つい買ってしまう。 黄緑が少し入った、朱色のほおずき。 このほおずきも夏が終わるころには変色し、そのうちわたしの部屋から消えてしまうけれど。 ただその朱色がわたしのそばにある期間だけ毎日眺めて、わたしは夏を愛おしむ。
いつかの夏に誰かがそれを見て、「なんでほおずき?」と、わたしに聞いてくれたらいい。 わたしは、意味なんてないよ。と答えたいから。
ただ、その瞬間にたしかに存在する感情だけは、永遠に切り取ってとっておきたいものだから。
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