INTERVIEW&COLUMN

2017.09.13

監督は何を以ってOKと決断するのか

黒澤明はこう言っている。
「演出していても器用にまとまることがあるんだね。そうすると僕は機嫌が悪い(笑)。
何かベラボーなものができないものかと思って、NGではないのにやり直すんだよ」 (「人間を信ずるのが一番大切なこと」より)

監督は俳優に、うまく演じる事なんか求めていない。
うまいことなんかで、見てる人を感動させられるとは思っていない。
極論を言えば、セリフなんかとちったっていい。バミリなんか間違えたっていい。
「このセリフはこうで、間を5秒とって…」などと具体的の指示をしたところで それは監督が想像した地点にほんの少し近づくだけであって、 決してそれを越えることにはならない。
監督は、俳優に自分の想像を超えて欲しいのである。

「おいおい、監督!それはあまのじゃくってやつじゃないんですかね」
「あんたの想像力が足りないだけなんじゃないっすかね?」
「脚本の出来の悪さを俳優に押し付けないで下さいよ」
そんなことも言いたくなる。

黒澤映画の常連俳優である千秋実もこう言っている。
「常識の線までいくと、たいていの監督は「OK」ってこうなんですよ。(中略)ところがあの人(黒澤)はそれでは駄目なんです。その上に『何かないか』ということを必ず考えているんですね。だけど本人にもそれは分かってないんです。」
(「黒澤明を語る人々」より)

監督は神ではない。全てを享受してくれる創造主ではない。
撮る事でしか到達できない地点があるから作るのであって、 もうすでに経験した事を反芻したところで、ただの自己模倣でしかない。
あなたとなら超えられる、未知の世界へ踏み出せる、 このキャラクターが生き生きとして、この映画の答えをきっと見つけることができる、 そのような確信があったからこそあなたを選んだのだ。

監督は敵ではない。共犯者である。

監督は、待っている。
何時間も、何日も。
あなたが想像を超えてくれるのを。
遥か頭上を飛んでくれるのを。
「もう一回」にはそんな意味がある。

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